「将来の夢は獣医さん」の私がなぜ仕事を辞めたのか

獣医さんへの憧れのきっかけはチィちゃんでした

小学生の時、突然父親が仔犬を連れて帰って来ました。

ブラックグレイの柔らかい毛並みを持ったヨークシャテリアでした。
大人の片手くらいの大きさしかないとてもかわいい仔犬でした。

(画像はチィちゃんのものではありません。悪しからず)

ヨークシャテリアは元々狩猟犬だけあってとても活発な犬種です。
チィちゃんも、凶暴でしたが元気によく遊ぶ子でした。

でも1歳くらいのとき、突然痙攣発作を起こし、そこから心臓に欠陥があることが分かりました。

それから毎日心臓の薬を飲んで、毎月病院で注射をしてもらうという生活が始まりました。
小学生だった私は毎月一緒に病院に行くことしかできませんでした。
いつも強気なチィちゃんが病院ではちゃんとわきまえておとなしく注射をうたれている…

獣医師を目指す子どもあるあるで若干恥ずかしいですが、私は病院でチィちゃんを診てくれる先生みたいに自分もなりたいと思い、そこから獣医の道を目指すようになりました。

大学での転機

獣医師になるためには6年間大学に行かなければなりません。

そして、私の通った大学は5年生と6年生の時に必ずどこかの研究室に入ることになっています。
私は病理学研究室に入りました。
病理学とは病気の原因を身体の組織から診断する学問です。

そこの病理学研究室では馬と牛※を飼っており、その世話は5年生がすることになっていました。
毎日世話をしながら、私は少しずつ大動物(牛豚や馬などの家畜のこと)に惹かれはじめていました。

※牛には懐かれましたが、馬には常にナメられてました。(馬には噛まれても蹴られても痛いです)

そしてすっかり牛や馬に慣れ親しんだ私は、卒業する頃には、大動物の道に進むのもいいかなぁ…と思うようになっていました。

子供の頃の目的を果たすべく、一度は小動物の病院に勤めたりもしましたが、なんとなく病院の空気に馴染めなかったことと、やはり諦めきれなかったことから大動物の道に戻り、地方公務員で家畜専門の保健所である「家畜保健衛生所」に就職しました。

家畜保健衛生所での日々

小さい頃の夢を叶えて獣医師になり、さらに大好きな大動物の業界で働けるのはとてもラッキーで幸せでした。

私が家畜保健衛生所(略して家保と言います)に入った頃はまだしっかり男女差があったりして苦い思いも何度もしましたが、まだ若く仕事ができるだけで楽しかったため毎日が充実していました。

その家保の様子が変わりはじめたのは「飼養衛生管理基準」という指導基準が制定され始めてからです。
(正確にはさらにその前の平成11年に制定された「家畜排せつ物法」からですけどね)

もうこれもすっかり昔の話になってしまっているので、今家保にいる獣医さんでその頃を知っている人もだいぶ高齢になってきましたね(^^;)

この頃の空気感を覚えている獣医さんは分かると思いますが、動物に関わる仕事が中心で農家さんとの距離も近かった仕事内容が、徐々に「農家への指導色」が強くなっていきました。

「農家さんのための仕事」がどんどん「行政のための仕事」になっていく…

指導する内容は確かに全て農家さんに必要なものばかりでしたが、農家さんの「本音」が徐々に聞けなくなる状況になっていきました。

そりゃ「法律的に正しいけどきっちりやるのは難しい(厳しい)」ことばかり言ってこられるのは煙たくなりますよね。
私たちも農家さんの言い分がわかる分、いろいろと苦々しい思いをしながら指導をしていました。

「なんのためにこの仕事をしてるんだろう」

こうなってくると、仕事をしている自分と本心の自分がどんどんずれていきます。言わなければならないことと、言いたいことが違う…
ちゃんとしようとすればするほど自分がおかしくなっていく気がしました。
周りの同僚たちも思うところはあったでしょうが何も言わず淡々と仕事をしていました。
周りの人は前に進んでいくのに自分はずっと止まってしまっている…そんな感覚がずっと続いている感じです。
がんばり続けている同僚たちへの申しわけなさと自分の不甲斐なさが悲しかったです。

そして家庭や病気の問題もいくつか重なり、最終的に職を離れることに決めました。

今、家畜業界も、農家数の減少や環境問題、周辺地域との軋轢、飼料の高騰、警戒すべき伝染病の増加等々で大変タフな状況が続いています。

残って働き続けていたら何が見えたんでしょうかね。
どこにも逃げられない人たちは今何を見ているんでしょうね。

現場で何も言わず踏ん張ってがんばり続けている獣医師諸氏には尊敬の念しかありません。

ここに来て最後まで読んでくださった方の中には家保での仕事に悩んでいる方もいらっしゃるかもしれません。
私から言えることがあるとすれば、常に学び続けてください、くらいでしょうか。

人生は無駄だらけですが、その無駄も積み重なれば気づけば大した財産になっているものです。
ただ、学ぶことを忘れていると自分の後ろに残るものの少なさにある日愕然としてしまうかもしれません。

家保で最も手近に学べることがあるとすれば、まずは法律です。
次に各種伝性病対策マニュアル。
このあたり知ってるようで案外細かく知らない人も多かったりするので、覚えて損はありません。

獣医師雑誌も予算削減で昔よりは読みにくくなっているかもしれませんが、主要なところだけでも目を通すようにしておけば農家さんとの会話が膨らみます。
余裕があるなら獣医師業界の歴史も見ておくと、国内の獣医学世界の変遷と法制化の必然化やその意味、日ごろの業務内容に紛れ込んでいるブルシットジョブの存在なんかが見えてきて面白いと思います。

まぁ結局できることをできる範囲でやっていくしかないんですけど。

若い人も若くない人もお互いほどほどにがんばっていきましょうね。

自分が獣医師であることは私自身の誇りでもあり、唯一の自己証明でもあったので、この数十年の経験をまた違う形でどこかに生かしていけたらと思っています。

 ーーー おそらく日本で唯一の獣医師兼人形作家であるたぬぬから皆さまへ愛を込めて

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