「解剖するときの態度」はどう身につくのか?(家畜の解剖)
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皆さまこんにちはこんばんは。ケモミミ本舗たぬぬです。

美容外科医師のご遺体がらみの投稿が物議を醸していますね。
だいぶ非常識な投稿だったので、呆れた方も多いのではないかと思います。

医学を志す者として遺体の解剖は必ず通る道ですし、学問の理解のために必要なことでもあります。
私も職業柄解剖することが多かったので、今回の件について思うところを書いておこうと思います。

私は獣医師なので解剖する対象は当然家畜の死体ということになるわけですが、「遺体に対する態度」に大きな差はないと考えています。

家畜は経済動物ではありますが、ひとつの命であることには変わりありません。
特に家畜は死体のみでなく、殺処分してからの解剖もままありますので、ダイレクトに生殺与奪の場面があるわけです。(殺処分は薬殺で行います。昔のような放血殺といった方法は今は実施されていません)
人間のお医者さんとは生死の場面は随分ずれますね。

解剖するときにはまず黙祷してから始めるのですが…黙祷せずにさっさと始める人もまぁそこそこいます。最近の傾向なんでしょうかねぇ?

この黙祷については、若いときにどういう上司に当たったかで随分変わるんじゃないかな、と感じています。
きちんと黙祷する人の下について仕事をしてた人はやはり長じてもその気質はそうすぐには消えません。
(まぁでも周囲がやらない人ばかりだとなんとなくやらなくはなっていくようですが)

家畜の解剖は得てして時間に追われていることが多く、また頭数も多くなりがちなのでいちいち黙祷なんてしてられない、もしくは失念してしまう、という人も多いのかもしれませんが…少し寂しい気もしますね。

ただ、どちらにしても「死体でふざける」ことは許されません。
そんなことをする者がいれば上司が黙っていないはずです。
こういうメンタリティでいい仕事なんてできるはずがないですからね。

こういったところからも分かると思いますが、「遺体に対する態度」は教育次第だと思っています。

医大にありがちな「ご遺体の耳を切って壁にくっつけ、壁に耳あり、とやったところ退学させられた」とかの都市伝説的逸話も、それをわかりやすくするための、言わば「昔話的寓話」なのではないかと思います。

獣医系の大学でも、初めて牛や馬をまるまる1頭解剖するときに、緊張のあまりふざけたことをしてしまう学生がたまにいますが、先生たちは徹底的にそれを叱ります。めちゃめちゃ怒ります。

獣医大学でもそうなんだから人間の医学部なんてもっと厳しいと思うんですけどねー。

遺体に真摯に向き合う必要があることをきちんと教育されてなければ、いくら頭のいい人でも間違えてしまう、ということなんでしょうか?
もちろん教育以前にその人個人の持つ「人間性」によってもともとふざける前提なんてない人もいるでしょうけれど。(ただこの場合も「育てられた家庭による教育」が生きているということになるとは思いますが)
というか、むしろ人間のお医者さんの方がこういった「遺体の扱い方」は厳しく教えられてるはずですけどねぇ…
いったいどこで間違えたんでしょうかねぇ?

さて、遺体を使ってふざけたりはしゃいだりすることがダメなのは、何も「不謹慎だから」だけではありません。

そもそも何のために解剖をしているかの自覚があればふざける余裕なんかあるはずがないんです。

浮ついた気持ちで解剖すると細かい部分を見落とします。
細かくても重大な病変なんていくらでもあるので、それらの見落としはつまり、その解剖のそもそもの意味すら失ってしまうわけです。
(家畜の解剖寄りの見方ではありますが)

特に人体の解剖の場合、家畜のように数をこなすことも難しい可能性があるので、まさにそんな適当にやってる余裕なんてないはずですしね。
せっかくの勉強の機会を自ら潰しにいってるようなものですから。お金を払っているならなおさらですよね。

どういう態度で臨むかは確かにその人の自由かもしれませんが、ああいった方もお医者さんとして活動してると思うとなんだかモヤる話でありました。

(牧場の画像はいらすとやさんからお借りしました)

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