私事:戦争と私の話

皆さまこんにちはこんばんは。ケモミミ本舗です。
今日は全く普段の話から離れたことをちょっとだけ書いておこうと思います。


以前タモリさんが言ってたとかで少し話題になった、2023年は「新しい戦前」になる、という話。

いつだって戦争は「戦争をしない」人たちが決めて「戦争をしない」人たちが終わらせるので、一般人の私はその是非も何も語るつもりはないのですが、ひとつ思っていることがあります。

多分、私は人を殺せるなぁ、ということ。

職業として獣医師を選び、職務の中で動物の命をたくさん奪ってきて思うのは、
「職務だと割り切れればなんでもできてしまう」
ということです。

動物の命を奪うのは病気を調べるためだったり伝染病から他の家畜を守るためだったり、“大義名分”はたくさんありますし、その大義名分は事実でもあります。
やっていることは「命を奪う」行為であることに変わりないのになぜできてしまうのか。

なぜなら、それが「やらなければいけないこと」だからです。

それがもし戦争というものにすり替わっても、多分自分はできてしまう。
それが「やらなければいけないこと」だから。
やらなければ家族や大切な人たちに何かあるかもしれないから。

やだなぁ。

前回書いた「家畜を殺処分するということ」でも書きましたが、ほとんどの人は命のやり取りなんて非日常の人たちばかりでしょう。そんな行為を強制できる制度は私は恐ろしくて仕方ありません。
家畜ですら精神的に辛すぎるのにそれが人間になるなんて考えたくないですよねぇ…

だいたい戦場なんて衛生的観念から100万光年くらい(表現古)離れてるだろうし。虫やカビや雑菌や不快な温度湿度が日常なんて…
当事者じゃなくても戦争とか起きたら楽しみにしてる本の新刊なんて読めなくなるし趣味とか真っ先に封印しないといけないだろうし。何よりまず食べ物なくなるよね。輸入量減る(なんなら止まる)だろうし。
今はSNSとか情報発信手段があるので、かの戦争の時のような“消極的な支援のせいで飢えて死ぬ”ことはないのかもしれませんがどこで命がなくなるのか選択できなくなるのはイヤですね…

話が逸れました。

どちらにしても「自分の意思として」その行為をやるやらないはまた別の話だと思っていますけどね。

「新しい戦前」なんて大げさだったよなぁ、なんて笑い話になることを祈っています。

(アイキャッチの画像は平和の像です。私の親は長崎で原爆を“見”ました。)

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